『蘇我氏の古代』
- 作者: 吉村武彦
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2015/12/19
- メディア: 新書
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六世紀頃、氏(うじ)が生まれた。最初にヤマト政権における職掌を氏の名とする氏族が生まれ、それに関連して地名を名とする氏族が生まれた。
職掌を名とする名負いの氏族は物部氏や大伴氏、中臣氏など。奈良盆地東部を拠点とする氏族が多い。姓は「連」。
地名を名とする氏族は、葛城氏や蘇我氏。奈良盆地西部を拠点とする。姓は「臣」。
蘇我本宗家は乙巳の変で滅んだが、他の系列は天智天皇の近江朝でも活躍した。しかし、その彼ら赤兄の系列も壬申の乱で滅びることになる。
蘇我氏の没落には乙巳の変だけでなく、壬申の乱も大きく関わっていた。
でも、不比等の正妻、北家、南家、式家の祖の母を出した連子の家系が繁栄しなかったのはちょっと不思議だ。娼子が若死にしたからか?
藤原氏は本来中臣という名負いの氏族であったが、不比等の家系のみを藤原として他を中臣にもどすことで、「中臣」という職掌、名負いの氏族であることから解放された。姓も「朝臣」となる。
蘇我氏と同じく外戚として力を振るったが、律令を整え、「蔭位制」をつくることで権力の子孫への継承を可能にした。
(不比等の子供たちは不比等の蔭位ではなく、鎌足の蔭位を受けた。正三位であった不比等の子として蔭位を受けるよりも、正一位であった鎌足の蔭孫として位を得た方が高位につける)
また、四兄弟が四家に別れることで、太政官には一家一人しか入れない慣例を覆すことができた。