『子どもたちの階級闘争』

 非常に面白かった。
 
 イギリスでは、まずサッチャー政権の新自由主義では競争と同時に生活保護が手厚くなり、働かなくても生きていける「国畜」たちを作った。その後、労働党政権では、社会の底上げのために幼児教育に力を入れる。そのため、保育施設でボランティアなど働いた後で、資格を取るために教育を受けるのが無償化された。筆者、ブレイディみかこさんが保育士の資格を取ったのもこの時。
 筆者がボランティアしたのは貧困地域にあるセンターの保育施設(底辺保育所)。そこではイギリス人や移民のために様々なコースが設けられ、1ポンド食堂も運営されていた。
 その底辺託児所に預けに来るのは、薬物やアルコールなどの問題を抱えたシングルマザー。貧困家庭で生まれた人たちの他に、中、上層家庭からドロップアウトした人たち、また、生活保護を受けつつボランティアや政治活動などを行うアナキストたちだった。
 また、センターで働いている人たちの中には、料理など何らかの才能を持っているがメンタルヘルス上の問題でそれを換金できない人たちもいる。社会で生きる「力」とは「作業換金力」が8〜90%で、「作業を行う能力」に恵まれているだけでは力があるとは言えないのだ。
 
 その後、保守政権で生活保護費も、保育に対する手厚さも大幅に削減された。民間託児所を経て再びセンターの託児所(緊縮託児所)へ筆者は戻ってくる。センターの講座が廃止され移民対象の英語講座だけが残っているため、預けに来る母親たちは移民が中心になった。移民たちは自らの能力を発揮するために国境を越えてくる。勤勉で向上心が強いのだ。そんな母親たちは、白人のシングルマザーを認めない。もはや少数派となった白人アンダークラスの母親と子どもたちは託児所から排除されかねないのだ。緊縮託児所では「ソーシャル・アパルトヘイト」「ソーシャル・レイシズム」「ソーシャル・クレンジング」がねじれた形で現れている。
 緊縮には、経済的効果より、人民を大人しくさせる政治的効果の方があるのではないかと筆者は考える。
 結局、緊縮によりセンターはついにフードバンクだけが運営されることになった。
 アナキズムこそが尊厳だった、という最後の筆者の言葉をかみしめたい。