こちらにまとめました

放置しっぱなしのジオシティーのページがあったのですが、今回こちらにまとめることにしました。
たまーに、訪れてくれる人がいる闘病記とグリーンノウ探訪です。

 闘病記は27年前にスキルス胃がんで手術したときの記録。
 グリーンノウ探訪は、ボストン夫人の「グリーンノウシリーズ」の舞台になったマナーハウスを訪れたときの記録です。

今日でちょうど、手術をしてから25年です。その時に、胃と脾臓を全摘し、その後、2011年秋には胆嚢も取りました。
人並み以下の体力ですが、海外旅行も、酒もためらわずに楽しんでいます。

たちの悪いと言われるスキルスになっても生き続けている人間がいる、ということを伝えたくてもともとのホームページを作りました。

古い話ですし、有益な情報などはないでしょうが、誰かが少しでも勇気を得てくれたらうれしいです。
                                                     2017.3.18

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『藤原氏』

藤原氏―権力中枢の一族 (中公新書)

藤原氏―権力中枢の一族 (中公新書)

 
 藤原氏の先祖は天児屋根命とされているが、これは記紀天孫降臨神話などの形成と軌を一にしたもので、それほど古いものではないだろうという。
 上野国にある碑文(多胡碑)では穂積親王には付けられていない「尊」という尊称が、石上麻呂藤原不比等には付されている、しかも「藤原尊」は尋常ではない大きさだという。中央での政治認識を敏感に写し取ったものだろうという。
 春日大社は東国(鹿島・香取社)の王権神(武甕槌命経津主命天児屋根命比売神)を藤原氏氏神として勧請したもの。(どういうゆかりなのだろう?)
 「薬子の乱」は、定説とは反対に嵯峨天皇(の周辺にいた北家)が、平城太上天皇専制的な国政運営を押しとどめるために起こしたクーデターだという。
 冬嗣は男子の名に「良」という時を関しているが、それは嵯峨天皇の皇子5人にも付いている。冬嗣一家を天皇家に連なる一族として扱うことの表明。
 陽成は代理で怒った格殺(殴り殺すこと)事件の責任をとらされて退位するが、それは親政を断行することを恐れた基経によるもの。本来嫡流でありながら皇統をつなぐことができなかった陽成には、後世乱行説話が作られた。
 北家のみ、それも道長の流れのみが繁栄した藤原氏だが、院政期になると院との関係で再浮上を果たす家も出てきた。例えば、信西は南家。
 頼道に摂政を譲ってからも道長はそれを上回る権力を行使し続けた。それは律令制の流れをくむ文書によってではなく、口頭、私信によって伝達された。その点において院政のモデルになった。
 従来、牛馬などが道長に献上されるのは賄賂とされてきた。だが、その大半が時を置かず下賜されていることを考えると、それは牛馬の集配センターと再配分のシステムであったと考えられる。その点は、絹などの他の物品も同様だっただろう。
 道長の二人の妻、倫子と明子。二人の子供の昇進や財産分与にはかなりな差があり、明子は正式な妻ではなかったとも考えられる。(平安貴族は妻問婚で一夫多妻だったと思われているが、実際には嫡妻と同居し、一時期には妻は一人しかいないことが多かった)
 崇徳天皇は父鳥羽天皇の実施ではなく、祖父白河上皇の子であると言われるが、その噂は崇徳父子が皇統から外されてから、忠通によって流布されたと考えられるという。

 不比等の時代は長岡良子さんの一連の漫画、院政期は大河ドラマ平清盛」を思い浮かべながら読んだ。様々に分かれていった藤原氏の家では、「園」「柳原(やなぎわら)」といえば明治天皇の側室、「坊城」といえば紀宮黒田清子さん)のお相手として一時名前が挙がった家、しっかり近現代まで名家なのです。

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たまーに、訪れてくれる人がいる闘病記とグリーンノウ探訪です。

 闘病記は25年前にスキルス胃がんで手術したときの記録。
 グリーンノウ探訪は、ボストン夫人の「グリーンノウシリーズ」の舞台になったマナーハウスを訪れたときの記録です。

今日でちょうど、手術をしてから25年です。その時に、胃と脾臓を全摘し、その後、2011年秋には胆嚢も取りました。
人並み以下の体力ですが、海外旅行も、酒もためらわずに楽しんでいます。

たちの悪いと言われるスキルスになっても生き続けている人間がいる、ということを伝えたくてもともとのホームページを作りました。

古い話ですし、有益な情報などはないでしょうが、誰かが少しでも勇気を得てくれたらうれしいです。
                                                     2016.3.18

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『子どもたちの階級闘争』

 非常に面白かった。
 
 イギリスでは、まずサッチャー政権の新自由主義では競争と同時に生活保護が手厚くなり、働かなくても生きていける「国畜」たちを作った。その後、労働党政権では、社会の底上げのために幼児教育に力を入れる。そのため、保育施設でボランティアなど働いた後で、資格を取るために教育を受けるのが無償化された。筆者、ブレイディみかこさんが保育士の資格を取ったのもこの時。
 筆者がボランティアしたのは貧困地域にあるセンターの保育施設(底辺保育所)。そこではイギリス人や移民のために様々なコースが設けられ、1ポンド食堂も運営されていた。
 その底辺託児所に預けに来るのは、薬物やアルコールなどの問題を抱えたシングルマザー。貧困家庭で生まれた人たちの他に、中、上層家庭からドロップアウトした人たち、また、生活保護を受けつつボランティアや政治活動などを行うアナキストたちだった。
 また、センターで働いている人たちの中には、料理など何らかの才能を持っているがメンタルヘルス上の問題でそれを換金できない人たちもいる。社会で生きる「力」とは「作業換金力」が8〜90%で、「作業を行う能力」に恵まれているだけでは力があるとは言えないのだ。
 
 その後、保守政権で生活保護費も、保育に対する手厚さも大幅に削減された。民間託児所を経て再びセンターの託児所(緊縮託児所)へ筆者は戻ってくる。センターの講座が廃止され移民対象の英語講座だけが残っているため、預けに来る母親たちは移民が中心になった。移民たちは自らの能力を発揮するために国境を越えてくる。勤勉で向上心が強いのだ。そんな母親たちは、白人のシングルマザーを認めない。もはや少数派となった白人アンダークラスの母親と子どもたちは託児所から排除されかねないのだ。緊縮託児所では「ソーシャル・アパルトヘイト」「ソーシャル・レイシズム」「ソーシャル・クレンジング」がねじれた形で現れている。
 緊縮には、経済的効果より、人民を大人しくさせる政治的効果の方があるのではないかと筆者は考える。
 結局、緊縮によりセンターはついにフードバンクだけが運営されることになった。
 アナキズムこそが尊厳だった、という最後の筆者の言葉をかみしめたい。
 

 

『遠いうた』

徳川伯爵夫人の七十五年 遠いうた (文春文庫)

徳川伯爵夫人の七十五年 遠いうた (文春文庫)

 大変面白かった。
 
駿河台下から渋谷行きの市電で通うことになりました。…痴漢が毎日跋扈していて、十二、二歳の少女のわたしはなす術もなく、いやな思いばかりしていました。」
祖父戸田氏共は十一歳で大垣十万石の城主になった。家老が幕末の身の処し方から財政までしっかりやってくれて生涯苦労知らずの殿様だった。
妻が病気で熱が高いときなどは食べ物ものどを通らないほどだったが、常にお手つきの女中を抱え、孫である著者と同年のものもいた。
祖母は岩倉具視の次女。かつて具視が暴徒に襲われたとき、父親がかくれている藪の前にござを広げてままごとをさせられたという。
鹿鳴館の一室で伊藤博文に襲われ掛けたときは窓から飛び降りて逃げたという。
嫁ぎ先は田安徳川家。義母や島津家の出。ふすまも人に開けてもらうものと思い、廊下などに邪魔なものがあると誰かがそれをどけるまでただ突っ立っていたという。
実家は大名だったため、先祖代々の忠実な家老が経済的にもしっかり支えてくれていたが、徳川家は藩主ではなかったためただの使用人である執事に任せきりだったため経済的に没落した。
「…政府がしきりに大和魂を昂揚し、国粋主義を鼓吹して盛んに士気を煽り、ひたすら軍港主義に徹して、社会主義共産主義は勿論平和主義までも危険思想として弾圧した意向を素直に受け容れる気にはなりませんでした。戦争をすると日本が良くなるとはどうしても思えなかったのです」
日支事変には「もう駄目だ」と絶望的になった。真珠湾攻撃には「日本は一体勝つつもりなの。」とへたへたと座り込んだ。
「しかし、日本国憲法戦争放棄をうたった第九条を堅持しながら、対米関係を保ち、国家安全保障という問題にも取り組まねばならない立場にあります。もし、自衛を越えて米国の期待するように軍備をすれば、軍事力拡大を支持する人たちは、憲法改正へまで動いていくかも知れません。」

(昭和58年の本)

『これがすべてを変える下』 

これがすべてを変える――資本主義VS.気候変動(下)

これがすべてを変える――資本主義VS.気候変動(下)

断片的なメモ。

地球工学の信望者たちは、もしアフリカを救うために北米に大きな気候変動リスクが生じるとしたら、工学がもちられると信じられるだろうか。
宇宙に人が行き青く丸い地球を目にしたことは、人類に神の視点、アウトサイダーの視点もたらした。チェスの駒のように汚染の発生源と吸収源をあちこち移動させることに意味があるかのように思うようになったのだ。
しかし、シェールオイルやガスは、北半球の人間のごく身近、裏庭に危険をもたらした。その結果、「インディアンとカーボーイ」が共闘する現場も出てきた。先住民が割譲をしなかった土地の権利を、先住民は手放していない、という法的な解釈がここで生きてくる。また、ギリシアルーマニアでもその地の人々が立ち上がっている「おばあちゃんが反乱を起こしたら、その国の政府は大失敗を犯したと言うこと」なのだ。
「権利はあるが金はない」人々と「金はあるが権利はない」人々の共闘は大きな力を持つはずだ。
今は化石燃料のフロンティアを広げるのではなく、閉ざすときなのだ。
救来の採掘方法も汚染をもたらしたが、非在来型の採掘は近隣一帯に巨大なハンマーを振るうようなもので、しかも地下深くで行われるために目に見えにくい。
気候変動をもたらす汚染は累積的なものだ。だから、富裕国側には気候債務を返済する義務がある。
カリブの小国の首相は言う、「我々が発展のための資源を探し求め獲得に苦慮していることは、かつて奴隷制と植民地支配が行われていた間、われわれが国民の努力によって富を蓄積できなかった歴史的事実と関連している」。
イギリスが奴隷制を廃止したとき、政府は奴隷保有者に補償をし、奴隷に対しての補償はされなかった。フランスなどは武力を持って独立した旧植民地に債務を負わせた。
石炭は他人の命と土地を意図的に私物化するのを助けてきたのみならず、その同じ国々に対し、自分たちの子孫の空までも無自覚のままに私物化し、人類全体が共有する大気のCO2吸収能力の大部分を使い果たす手段を与えてきた。
社会正義運動は法的領域では成果を収めてきた一方、経済的領域では敗北してきた。(奴隷解放、男女平等、民族差別)
気候変動への対処、良好に機能する基本的な公共サービス、まともな住宅(断熱など)、土地の再配分などの経済的要求は、これまで他の運動で挫折してきた領域での解放を成し遂げる契機になるかもしれないのだ。

『これがすべてを変える上』これがすべてを変える――資本主義VS.気候変動(上)作者: ナオミ・クライン,幾島幸子,荒井雅子出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2017/08/31メディア: 単行本この商品を含むブログ (6件) を見る

前著『ショックドクトリン』で惨事便乗型資本主義を知った。その時は震災前だったため「アメリカって所は恐ろしいとこだ」という素朴な感想だったのだけれど、それが震災後日本でも行われていくのを目の当たりにした。

そして、今度は資本主義vs気候変動。
これまでいくつかあったチャンスを我々は既に逃し、すでに引き返せない所に来ているのではないか。

現在、環境保護の取り組みに積極的ではない、というより阻止しようとしている右派は、人間が自然の支配者だという考えから、原子力や大規模な地球工学を使った対策を示されると、気候変動が人為的なものであるという意見を受け入れるようになるという。

石炭・石油よりも「地球に優しい」エネルギーとして天然ガスが言われているが、水圧破砕によって採取される天然ガスはその採取時にCO2を大量に排出する。

右派は、地球温暖化対策は再分配のための陰謀だと言うが、それはある意味では正しい。安価な公共交通、インフラの改善、公的なスペースの整備、は低所得者を利することになる。

エネルギーの分散管理も大切なこと。風力発電太陽光発電などの装置を中央から押しつけられたために頓挫した例は多い。地元の声をちゃんと聞くことが大切だ。押しつけに対する抗議をNIMBY(うちの裏庭ではおことわり)という住民エゴで片付けてはならない。

採取/搾取主義には「犠牲区域」が付き物だ。犠牲区域とは採取/搾取する側にとってほとんど価値がないと見なされ、それ故経済発展というより大きな善とされるもののためなら汚染してもかまわない場所のこと。それは人種主義とも関わっている。犠牲にしてもかまわないとされる人々や文化があると言うことだから。ナウルはその犠牲になったのだ。

カーボンクレジットは、自然をバーチャルな商品と化してしまった。こちらの森林が、地球の裏側の工場のCO2を相殺してくれることになったのだ。