『これがすべてを変える下』 

これがすべてを変える――資本主義VS.気候変動(下)

これがすべてを変える――資本主義VS.気候変動(下)

断片的なメモ。

地球工学の信望者たちは、もしアフリカを救うために北米に大きな気候変動リスクが生じるとしたら、工学がもちられると信じられるだろうか。
宇宙に人が行き青く丸い地球を目にしたことは、人類に神の視点、アウトサイダーの視点もたらした。チェスの駒のように汚染の発生源と吸収源をあちこち移動させることに意味があるかのように思うようになったのだ。
しかし、シェールオイルやガスは、北半球の人間のごく身近、裏庭に危険をもたらした。その結果、「インディアンとカーボーイ」が共闘する現場も出てきた。先住民が割譲をしなかった土地の権利を、先住民は手放していない、という法的な解釈がここで生きてくる。また、ギリシアルーマニアでもその地の人々が立ち上がっている「おばあちゃんが反乱を起こしたら、その国の政府は大失敗を犯したと言うこと」なのだ。
「権利はあるが金はない」人々と「金はあるが権利はない」人々の共闘は大きな力を持つはずだ。
今は化石燃料のフロンティアを広げるのではなく、閉ざすときなのだ。
救来の採掘方法も汚染をもたらしたが、非在来型の採掘は近隣一帯に巨大なハンマーを振るうようなもので、しかも地下深くで行われるために目に見えにくい。
気候変動をもたらす汚染は累積的なものだ。だから、富裕国側には気候債務を返済する義務がある。
カリブの小国の首相は言う、「我々が発展のための資源を探し求め獲得に苦慮していることは、かつて奴隷制と植民地支配が行われていた間、われわれが国民の努力によって富を蓄積できなかった歴史的事実と関連している」。
イギリスが奴隷制を廃止したとき、政府は奴隷保有者に補償をし、奴隷に対しての補償はされなかった。フランスなどは武力を持って独立した旧植民地に債務を負わせた。
石炭は他人の命と土地を意図的に私物化するのを助けてきたのみならず、その同じ国々に対し、自分たちの子孫の空までも無自覚のままに私物化し、人類全体が共有する大気のCO2吸収能力の大部分を使い果たす手段を与えてきた。
社会正義運動は法的領域では成果を収めてきた一方、経済的領域では敗北してきた。(奴隷解放、男女平等、民族差別)
気候変動への対処、良好に機能する基本的な公共サービス、まともな住宅(断熱など)、土地の再配分などの経済的要求は、これまで他の運動で挫折してきた領域での解放を成し遂げる契機になるかもしれないのだ。