『これがすべてを変える上』これがすべてを変える――資本主義VS.気候変動(上)作者: ナオミ・クライン,幾島幸子,荒井雅子出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2017/08/31メディア: 単行本この商品を含むブログ (6件) を見る

前著『ショックドクトリン』で惨事便乗型資本主義を知った。その時は震災前だったため「アメリカって所は恐ろしいとこだ」という素朴な感想だったのだけれど、それが震災後日本でも行われていくのを目の当たりにした。

そして、今度は資本主義vs気候変動。
これまでいくつかあったチャンスを我々は既に逃し、すでに引き返せない所に来ているのではないか。

現在、環境保護の取り組みに積極的ではない、というより阻止しようとしている右派は、人間が自然の支配者だという考えから、原子力や大規模な地球工学を使った対策を示されると、気候変動が人為的なものであるという意見を受け入れるようになるという。

石炭・石油よりも「地球に優しい」エネルギーとして天然ガスが言われているが、水圧破砕によって採取される天然ガスはその採取時にCO2を大量に排出する。

右派は、地球温暖化対策は再分配のための陰謀だと言うが、それはある意味では正しい。安価な公共交通、インフラの改善、公的なスペースの整備、は低所得者を利することになる。

エネルギーの分散管理も大切なこと。風力発電太陽光発電などの装置を中央から押しつけられたために頓挫した例は多い。地元の声をちゃんと聞くことが大切だ。押しつけに対する抗議をNIMBY(うちの裏庭ではおことわり)という住民エゴで片付けてはならない。

採取/搾取主義には「犠牲区域」が付き物だ。犠牲区域とは採取/搾取する側にとってほとんど価値がないと見なされ、それ故経済発展というより大きな善とされるもののためなら汚染してもかまわない場所のこと。それは人種主義とも関わっている。犠牲にしてもかまわないとされる人々や文化があると言うことだから。ナウルはその犠牲になったのだ。

カーボンクレジットは、自然をバーチャルな商品と化してしまった。こちらの森林が、地球の裏側の工場のCO2を相殺してくれることになったのだ。