「硫黄島からの手紙」

わたしにとって硫黄島は、折口信夫の弟子であり、養子でもあった折口(藤井)春洋が戦死した所、だった。
洞窟、残された日記や手紙、ほぼ全滅、そんな言葉から、硫黄島はすごく小さくて洞窟があるだけの無人島のようなイメージを持っていた。
よく考えてみれば、そんなところを死守する必要はないわけで、実際には飛行場などがあり、そこを奪われれば本土攻撃の足がかりになってしまうから、どうしても守りたいのだ。
それにしても、本当にあんなところで、あんな風に戦って死んでいった人たちがいたわけで、死ぬも地獄、生きるも地獄のありさまだ。いつもながら、自分がまかり間違ってこんな状況になってしまったらどうしようと、恐ろしくなった。
「同じ死ぬなら一番に死にます」と念じながら見ていた。
全く、折口が親子墓のために彫った墓碑銘「もっとも苦しき たたかいに 最もくるしみ 死にたる」そのままの人たちだ。
折口が、春洋の命日を、伝えられた3月19日ではなく、アメリカ軍が上陸した2月17日としたのは、苦しきたたかいは短くあって欲しい、くるしみは短くあって欲しい、という心なのだろう。

美しい国? 防衛省
こんな時代に戻りたいの!?
という思いも渦巻いたのでした。