『嵐が丘』

E・ブロンテ著
鴻巣友希子訳。

鴻巣さんのエッセイを読んで、この新訳を呼んでみようと思いました。
嵐が丘』を読むのは3回目。中学時代に河出の緑色の文学全集で読んだものの、ほとんど訳が分からず楽しめず。それから、ブロンテ姉妹のふるさとハワースに行く前に、英語で読んだ。その時初めておもしろいと思ったのだけれど、なまり丸出しのジョウゼフの台詞は理解できず、すっ飛ばして読む。
そしてこの新訳。
読みやすかった!
それでいてちゃんと古さを感じさせる文章。(1848年に書かれたもの、というだけではなく、1801年を現在とする物語であり、その発端はさらに何十年かさかのぼる)
現地で見た、まさに「ヒースクリフ(ヒースの生うる崖)としか言いようのない風景がよみがえる。
さて、この新訳で初めて気づいたのは(これまでぼけっと読んでいたからだけど)ネリーが若いということ。ヒンドリーの乳兄弟なのだから、キャサリンヒースクリフら主役たちとほぼ同世代なのだ。
そして、これは鴻巣さんのエッセイにも書かれていたことだけれど、「後の作品や研究がそれ以前の作品の読みを変える」ということ。今回、読んでいる間中、水村美苗の『本格小説』が頭から離れなかった。『本格小説』から照り返されてくるネリー像は、どうしたってただの語り手、傍観者ではない。まさかヒースクリフと性的な関係があった、なんていうことはないと思うのだけれど、「そういう可能性」を頭にこびりつかせたまま読む『嵐が丘』は、あきらかに『本格小説』読了以前の『嵐が丘』とは違うのだった。

ネリーについては鴻巣さんが後書きでかなり詳しく書いているように、実は彼女も「信頼できない語り手」であるようだ。鴻巣さんは買っていないようだが、「ネリー悪役説」まであるそうだ。
いろいろな意味でおもしろい新訳だった。