『世界の辺境とハードボイルド室町時代』

大変刺激的で面白い本だった。読みたい本がいっぱいできてしまった。
「辺境」とは、まずはソマリ、それからミャンマーなど。 
法があるからと言って機能しているとは限らない。 
関所は山賊。今でもインドなどは夜間のみの施設?料金所がある。
足軽は略奪集団で、応仁の乱の時期は徳政一揆が起きていない。
その戦国が終わった頃の「かぶき者」は犬を食べたり、戦国の習慣をわざとやった。綱吉の生類憐れみの令は、それへの対策もあったかも。
刀槍や弓矢と違い、刀は実戦の役にはあまりたたない。その代わりシンボリックな意味がある。それは自動小銃とピストルの関係と同じ。ご褒美としてピストルを賜ることがある。
逃げ込んだ客を守る。それはソマリも日本中世も同じ。しかし、ソマリでは、その家のルールを曲げてでも客に合わせなければならない。対して日本では、逃げ込んだ者は主人に生殺与奪の権を握られる。
カオスか専制かという究極の選択。それは現在の紛争地のイスラム主義と、戦国時代の信長に似ている。どちらも正義公正を大変重んじる。
かつて、過去は見えるから前方、未来は見えないから後方という感覚があった。「サキ」と「アト」という言葉の使い方にそれが見える。
サキ 先日(過去) 先々(未来)  アト 後回し(未来) あとをたどる(過去)
日本には大麻が自生していたのに、たばこ伝来後も結局吸うことはなかった。
江戸期には、米を重視するあまりモノカルチャーになり、それが飢饉の原因になった。また、東北では商品作物としての大豆が作られた。ずんだ餅にその名残がある。
日本人が旬のものを好むのは流通が発達しているから。旬を好むから発達したのか、発達したから好むのかはわからない。
独裁者は平和、統制を好む。
日本が同調圧力が強いのは、村が生活共同体であるだけではなく生産共同体だったから。
村単位で税金を取られた。ミャンマーでは税金は個人単位。
それでも、かつてはいろいろなムラ社会で価値観が少しずつずれていた。しかし、今はインターネットでダイレクトに国家につながる。最近のナショナリズムの強まりはそのためか。
「お国のために」は「政府のために」とは違って、支配者のみならず被支配者(家族など)も含んでいる。この言葉は百姓を動員するために戦国大名も使った。しかし、役には立たずその大名は滅んでしまったという。