誰がネロとパトラッシュを殺すのか――日本人が知らないフランダースの犬

誰がネロとパトラッシュを殺すのか――日本人が知らないフランダースの犬

誰がネロとパトラッシュを殺すのか――日本人が知らないフランダースの犬

大変面白かった。『フランダースの犬』はほぼ日本以外無名、と聞いていたので、作者のウィーダも無名なのかと思っていた。
しかし彼女は、一世を風靡し、セレブな生活を楽しみ、そして存命中に忘れられ困窮のうちになくなった人だった。
そして、その窮状について新聞に載り、それを読んだ日本人が興味を持ち手に取ったのが『フランダースの犬』だった。

アメリカ映画も意外にたくさん作られていて1924年版のネロはチャップリンの「キッド」の名子役クーガン。
アメリカ版はハッピーエンド。絵が認められるだけではなく、ネロは家庭(コゼツ家や画家の家)を手に入れる。それはアメリカが、家族を大切にして、アメリカンドリーム(自分の才能で成功する)国だから。

日本の1975年版アニメは、全52話の詳細なあらすじ&解説があり、わたしなどはそれを読んだだけで涙がぼろぼろ出てくる。
「日本アニメ独特の遠近法」、鳥瞰ぎみなのに地平線が見えない、については日本人の私にはあたりまえすぎるのか、ぴんとこなかった。ディズニーとかとそんなに違ったっけ?
あと、p95「日本では伝説になったシーン」、座ったアロアをネロがスケッチ、というのもわからない。伝説ですか? 「疲れたよ、パトラッシュ」とか「クララが立った!」ならわかるけど。
75年版アニメは長大なこともあって、季節の移ろいや、ネロが職人芸に触れたりして絵画への理解や自分の描きたい物をつかんでゆく様がゆったりと描かれる。
それこそ「伝説」の昇天シーン、欧米人は「笑止千万、おめでたい、古くさい、大げさ」とぼろくそ言うらしい。好意的な意見でも「かわいい、愉快、おもしろい」だと!
欧米では天使が商業化して陽気で楽しいものになっているからだそうだ。日本だって一般的に、赤ちゃんタイプの天使は商業化していてかわいいものだけど、あのシーンでそうは思わないよね?
いろいろ考えて、あそこでキューピーさんの群れが天から下りてくるような感じか?とイメージしましたがどうでしょう。
原作で、ネロとパトラッシュが同じ墓に入るのは、キリスト教的には非常に異質だという。そして、このアニメではネロとパトラッシュだけではなく、荷車も一緒に昇天している。

1992年のアニメシリーズは全く知りませんでした。
1997年のアニメ映画は友人が見に行って「すごいよ、みんな泣く気満満で見てる」と話したことがいんしょうに残っている。著者も1975年の作を見た日本人なら開始10分で感動の涙を抑えられないだろうといい、研究のためにうんざりするほどテレビシリーズを見た著者もそうだったと書いている。(ここは読んでいておかしくてならなかった)
この97年映画は、風景や風俗においてオランダとの混同が無く、非常に良くできているという。見たくなった。
あと、ジャニーズ主演の実写翻案映画もあったとか。

最後は、作品の「舞台」アントワープとホーボーケンを巡る話。ホーボーケンの方は自ら名乗りを上げたらしい。思い入れを持って現地へやってくる日本人と、こんな悲惨な話で売りたくないアントワープ、観光化したいけれどちょっとずれていて意思統一もできていないホーボーケン。著者は、もっと日本人の思いを大切にしようといろいろ書いてくれているけれど、私は「どうぞお気遣い無く。。。。」と思ってしまった。思い入れの強い人間なら、特に何もしてくれなくてもその場に行くだけで満足できると思うので。変に日本人を意識されても居心地が悪い。(スイス、ユングフラウヨッホに行く登山列車の案内映像、日本語版だけハイジが登場して、あの甲高い声のナレーションが流れた。期間限定だったらしいけど)
ここでびっくりしたのが、文学作品などの舞台に行きたがるのって日本人だけなの? 本当に? 大昔の歌枕の場所で感慨にふけるとか、なにか日本人の伝統に根ざしているのだろうか。もちろん、外国人にだっているんだろうけれど、傾向として日本人はそういうのが好きなのかな? 大学時代に史跡・文学ゆかりの地を巡るというサークルに所属していたので、ある意味ここが一番の驚きだった。

翻訳者の補遺として、日本の『フランダースの犬』翻訳史があった。日本でもハッピーエンドバージョンがあった。また、翻訳というより翻案作品では、戦争や戦後など、社会情勢が反映していたが、75年アニメ以降はあれ以外の結末は許されなくなった。

75年アニメ当時は5〜6歳。まさに、最初の歌のオランダ語部分もいまだに口ずさめる世代。やっぱりルーベンスを見ればネロを思い出すし(初めて見たときは、いかにも肉食人種なルーベンスの絵と、「フランダースの犬」のはかないイメージが合わなくてびっくりした)、アントワープと聞いても思い出す。ボクライク野外博物館に行ったときも、「フランダースの犬」に思いをはせた。典型的なある世代の日本人です。