高橋哲也『靖国問題』

憲法九条改悪反対でいわゆる左寄り、しかし神道系の学校に行って神社は好き、という自分にとって「靖国問題」というのは関心の一つだ。
A級戦犯を含めて死者を追悼する」という考えには、共感するところもあったのだけれど、この本では「靖国神社は死者を追悼するためではなく、死者を顕彰し、お国のために喜んで死んでいかせる」ためのものである、と明確に示し、論証している。
神社自身が死者の追悼に全く重きを置いていない、現在も過去も、ということを神社(神官)自身の刊行物や発言によって明らかにしている。
また、靖国神社には「追悼か顕彰か」という問題だけではなく、民間人の死者を祀っていないこと、明治維新における「賊軍」も含めた天皇に敵対したもの、戦争の相手である外国人や「征伐」された台湾人などを祀りの対象としていないことなどの問題もある。
反対に、靖国に祀られることを望まない、キリスト者や当時日本人として戦った台湾人、朝鮮人たちも否応なく合祀されている。
つまり靖国問題を、「A級戦犯合祀問題」ととらえるのは問題を矮小化することになるのだ。一方、中国・韓国が「A級戦犯合祀」を問題視し、靖国神社に首相らが公式参拝する度に、その点について抗議しているのは、むしろ問題を限定的にして政治的決着を図ろうとしているからだという。(細かいことにいちいち難癖をつける、という態度とは逆である)
それから、首相としての参拝は明らかに「政教分離」の憲法に違反し、これまでの判例でも、「憲法違反である」という判決は幾度かなされたが「違反ではない」という判決は一度も出たことがないという。

はしょって書いてしまったけれど、やはり靖国神社という存在にはいろいろ問題があり、まして、首相が参拝するのは憲法違反であり、あきらかにおかしいことである。そして、それは神道、神社一般から考えても、望ましいことではないと思われます。