『紅一点論 アニメ・特撮・伝記のヒロイン像』

斎藤美奈子
紅一点論―アニメ・特撮・伝記のヒロイン像 (ちくま文庫)

『ものは言いよう』などの、フェミニズム的な本も書いている著者の、アニメ・特撮・伝記のヒロイン像を分析した本。

アニメには男の子の国と女の子の国がある。
男の子の国は、「ガッチャマン」とか「ガンダム」などの悪とたたかうストーリー、女の子の国は「サリーちゃん」や「クリーミーまみ」などの魔女っこもの。
女の子の国のヒロインは、すてきな男の子とくっつくのが最終目標だし、男の子の国のヒロインも、セクハラされつつ、男の子の補助ワークをしつつ、やはり理想のお婿さんを捜している。
特撮の「ゴレンジャー」などに出てくる組み合わせ、ヒーロー、ライバル、博士、ふとっちょ、女の子、というのも、男の子にはいろいろな性格が与えられているのに、女の子は「女の子」というのが一つのキャラクター。
「ヤマト」の森雪はほとんどなんの役にも立っていないし、気が強いはずだった「ガンダム」のセイラもいざモビルスーツに乗ると、キャアキャア言うことしか出来ない(最初は)。
なるほど〜と思いつつ、アニメ好きでもあったので、ちょっと好きなものをけなされたようで悲しい気持ちもしたり。。。でも、こういう幼少期の刷り込みって大きな問題よね。
セーラームーン」とか「エヴァンゲリオン」となるとちょっと変わってきてるようだけど、この辺まで来ると守備範囲外で、よくわからなかった。

何故、ここに「伝記」が、という疑問も湧いてくるけれど、実は伝記にもかなりな(無意識の)作為が入っているのだ。
取り上げられるのは、男女あわせた伝記全体でも人気のある「ナイチンゲール」「ヘレン・ケラー」「キュリー夫人」。
ナイチンゲールヘレン・ケラーも、その長い人生のほんの前半生(ヘレンなんかひどいときは7歳まで)しかあつかわれない。
実務家としてのナイチンゲールではなく、「白衣の天使」として、寄席にまで立ち不屈の、長い人生を歩んだヘレンの人生は、「ウォーター!」をクライマックスとした少女期ばかりを、キュリー夫人は理想の妻、母としての面が強調され、描かれる。
伝記というと公平に事実を描き出したもの、というイメージだけれど、必ずしもそうでは無いのだ。

この組み合わせに「伝記」を入れたところが、斎藤さんの慧眼ですね。