『飛鳥の朝廷と王統譜』

『飛鳥の朝廷と王統譜』
篠川賢著
飛鳥の朝廷と王統譜 (歴史文化ライブラリー)
6,7世紀における天皇家皇位継承の原則について探った本。
ごく簡単にいってしまうと、「近親婚によって生まれた男子」というのがそれ。近親婚とは、異母きょうだい婚やオジメイ婚のこと。
そして、女帝は、その原則にかなった皇位継承者が年少であるときに、中継ぎとして立てられた。近親婚であるからには、皇后(大后)は皇族(というより天皇の娘)でなければならなかった。そして大后は、皇太子と共に政治を分掌する存在でもあったのだ。
しかし、時にはその原則に当てはまらない、「中継ぎの」男の天皇が誕生する。用明天皇であったり崇峻天皇であったり、そしてそのようなときに政変は多く起こるのだ。

この近親婚の習慣は継体天皇から始まるという。彼は、前代仁賢天皇の娘を妻とし、自身は応神天皇五代目の子孫であるという。これがすべて本当であるとしても、例の「竹田の宮」さんが愛子さんのお婿さんになるようなもので、はたして「正当な跡継ぎ」と感じられるかどうかは怪しい。しかも、仁賢天皇は実在が危ぶまれているという。

以下は私の妄想なのだけれど、
継体天皇から別の王朝になっているのではないか。新興の家だからこそ、近親婚で身内の結束を固める必要があったのではないか。
もう一つ言えば、実はは彼の代では、この家はまだ「天皇家」ではなかったのではないか。というのは、本当は「蘇我氏が大王だった」という説もあるのだ。これが学会などでどれほど真剣に論ぜられているのかはわからないけれど、素人にとってはおもしろければそれでいい。
だって、出自が怪しい(ような)継体天皇は、あの推古天皇のおじいさん、そんなに時代が離れているわけではないのだ。それに大化の改新乙巳の変)の時に、蘇我氏の館と一緒に『帝記』『旧辞』も焼けたという。なんで一臣下の家に、国の歴史をまとめたものがあるんだろう。
こういうことを考えるのは本当に楽しい。