「パッチギ!」

パッチギ!
おもしろかった。けど、何度も出てくる乱闘、暴力シーンはちょっとつらい。それにしても若者は不死身で回復も早いなあと思ったら、そうでもなかったりして
つっぱりファッションはなんとなく懐かしい。なんでマスクしてるんだろう?

「在日の人は(不満があるなら)国へ帰ればいいんですよ」とあっさり、にっこり言った人がいて、即座に賛成した人もいた。二人とも私よりずっと年上で、尊敬もしている人だからびっくりした。
‘郵便ポストが赤いのも、みーんな日本が悪いのよ’式に不満を持っているのなら、帰ればいいのかもしれないけれど、そんな簡単な問題ではなかろう。なんと言っても、強制的に連れてきたのは私たち(日本人)なんだから。そして、代を重ねているうちに、母語も「母国も」いつのまにか日本になってしまった人たちもいるのだから。早世した作家李良枝(イ・ヤンジ)の苦しみも、ここにあったのだと思う。
ここも異国、あちらも異国、になってしまった人の苦しみを、そうさせてしまった私たちは簡単にかたづけることはできないと思う。
その点で、この映画もきれい事ではあるだろう。でも、結局ひとりひとりが「きれい事」を積み上げていくことでしか、解決されないのも確かだと思う。
それにしても「イムジン河」は、名曲だ。
それから、「パッチギ」とは、「突破」とか「頭突き」の意味だそうだ。
もうひとつそれから「生駒トンネルは誰が掘ったか知ってるか?」という台詞が出てきたけれど、たしか『橋のない川』にも生駒トンネルを掘るところが出てきた。部落の人たちも掘ったのかな?

内容とは関係ないけれど、1968年の風俗が懐かしかった。生まれる前のことだからもちろん知っているわけではないのだけれど、子供の頃の風景に、もちろん今のこの時代よりもずっと近くて、また、年中再放送していたドラマやアニメ(「ど根性ガエル」とか)は、ずばりこの時代のものだったから、自分の‘根っこ’はやっぱりこの風景にあるのだと思えた。それから比べれば、今自分が生きている世界は「未来」としか思えない。

いっそう話がそれるのだけれど、キャストが変わったから久しぶりに見た(と言ってもずいぶん前)「ドラえもん」で、未来だか過去だかに行ったのび太たちが「さあ、21世紀に帰ろう」と言っていた。
そうかあ、21世紀は帰る場所なんだ。現在なんだ。
とびっくりした。
「21世紀」と改めて口に出すと、今でも未来な気がする30代半ばです。