『殴り合う貴族たち 平安朝裏源氏物語』

繁田信一
殴り合う貴族たち―平安朝裏源氏物語

3百数十年間も死刑が行われなかった文字通りの「平安時代」。
ところが死刑はなかったがリンチはあったのだ。
自分の従者を殴り殺した貴族もいれば、ほぼ同等の貴族を屋敷ごと袋だたきにしてしまったこともある(屋敷が壊れてしまった)。帝のそば近く使える蔵人だって、宮廷内の詰め所に逃げ込んでも、その部屋自体をがたがたにしてしまう。
元となっている資料が藤原実資の『小右記』であるので、登場する荒くれ貴族も藤原の道長の関係者が多い。兄だの甥だの息子だの。つまり最上級貴族なのだ。
時代としても『源氏物語』『枕草子』の宮廷文化の最盛期。
非常に意外だった。
小ネタとして印象に残ったのは『蜻蛉日記』の作者藤原道綱母の息子の道綱。彼は49歳の時でも、読み書きできる漢字は自分の名前に使われているものだけだったと言う。それって、頭が悪い、というレベルですらない気がする。
それからもう一つ。ある地位以上の人(殿上人)しかあがれないはずの宮中清涼殿、しかもお湯殿を二人の若者がうろうろしていて捕まってしまったのだが、まもなく彼らの母である内裏女房がやってきて警備の者たちを怒鳴り散らした。それで二人は釈放されたのだが、その直後、あろう事か、蔵人に刀で斬りつけたという。それでも、有力な女房の息子であったから、無罪放免。問題にはならなかったという。
で、その馬鹿息子の母であり、自分も相当の馬鹿と見える「少将」という女房は、『紫式部日記』に見える「小少将」であるという。あの、「美しくて上品で、世をはかなんだところがある」と書かれた紫式部の親友だ。
年月って恐ろしい。
他にも、花山天皇の皇女が、さらわれて殺されてしまい、その遺体は路上で犬に食われた無惨な姿で見つかった、とか、意外なエピソードがいっぱいだ。
平安時代のイメージが変わることは間違いない。