映画「ゲド戦記」

評判が悪いのも知っていたし、原作のつまみ食いらしいのも知っていた。でも、ファンタジー好きとしては見ないわけにはいかない!と同じファンタジー好きの友人と、つまらなかったら悪口を言い合おう、との覚悟で見に行った。
。。。。映画館で映画を見て寝たのは初めてです。友人は寝なかったようですが、「左(私)を見ても、右を見ても、前を見ても寝てたから気にしなくていいよ」と言ってました。
悲しいのは、寝てしまっても別に「気にしてない」こと。眠気に抵抗しようという気もなかったもの。

以下、所々ネタバレ



主人公アレンは第3部のアレンなんだろうけれど、自分の分身(のようなもの)から逃げているところは第一部のゲドにも似ている。テルーはもちろん第4部の登場人物だけど、竜との関わりが描かれているのは第5部。中年女のテナーは第4部。悪役クモは第3部だけれど、今回の悪事の前になにやらやらかしているようで、それが第3部のエピソードをにおわせているのか? ゲドは大賢人なのだけれど、力を使えるときと使えないときがあって、第3部と第4部が混じってる感じ。もっとも、最後にぐるぐる巻にされてたふっとい鎖をバラバラにしたのは「本当なこんなことぐらいできたけど、今回はアレンとテナーの試練だったから、おとなしくしてたんだよーん」ってことなのか?
宮崎父の『シュナの旅』も原案として入っているけれど、こちらは高校時代人に借りて読んだけれど、もう忘れた。

つまみ食いでも、もう少しやりようがあったんじゃないの?

つまみ食いが過ぎて、一貫性が全くなくなっている。原作第3部ではクモがこの世とあの世をわける扉を開けてしまったから、世界の秩序がおかしくなった。ところがこの作品では、最初に世界の秩序がおかしくなったことをちょっと描きながら、「クモはまだ扉を開けていない」。その上、小者感いっぱいのクモが死んだだけで、めでたしめでたし。扉とは無関係に、彼がすべてを引き起こしていたってこと?
前述したようにゲドに力があるのか無いのかがわからない。
アレンが善悪の二人(なのかな?)に分裂したきっかけは、父親を刺したことなのだろうけど、そもそも何で父を刺そうとしたのかが皆目わからない。分身が現れるタイミングも唐突、伏線が欲しい。
原作に妙に義理立てしてか、幽閉されたテナーが「まるでアチュアンの墓地みたい……」などとつぶやく。この映画の中ではまるで意味がない。

日本人としてル・グィンさんにお詫びしたい、そんな気にまでなってしまいました。

おもしろかったのはクモと戦う最後の方だけだなあ。それもアレンたちの戦い方ではなく、クモの壊れ方がおもしろかった。どろどろになると妙に俊敏でどこへでも行けるのに、人間形にもどるとやっぱりよぼよぼはあはあしてるとか、妙に肩幅が広くなったところは、箱根彫刻の森にある「ビッグママ」とかいう彫刻に似てるなあ、とか。その辺はばっちり目が覚めましたよ。

絵や映像としての演出はさすがジブリでよかったので、誰かちゃんとした人が脚本を書いただけで、かなり違ったものになったのじゃないかと思います。