『明治天皇の一日 皇室システムの伝統と現在』

米窪明美
明治天皇の一日 皇室システムの伝統と現在 (新潮新書)

すごくおもしろかった。
明治天皇の宮中は超身分社会。
用事すら身分を飛び越えては伝えられず、伝言ゲームのように上から下へと降りていく。
女官たちは、立ったままでは天皇の前を通れず、膝行と言って膝歩きするしかない。
庭仕事をするものたちも、天皇の前には決して出られなかった。
ところが、それでつらいのは天皇も同じこと。女官たちに気を遣った天皇は、女官が用事で前を通りそうになると立って違う場所へ行く。だから5分と同じ所にはいられなかったという。また、自分が外にいる間、庭師らの仕事が進まないことを知ると、ほとんど外に出なくなった。
身分社会は必ずしも上にやさしいシステムではないのだ。
また、天皇は立ったまま仕事をこなし、決して座らなかったという。

侍従らは命令には絶対服従で、「いつまでにせよ」といわれたら、その前に仕事が終わっても必ずその日数は費やさなければならなかった。余った日に観光などしても、それはかまわなかったという。
宮中には「侍従職出仕」という少年たちがいた。天皇は彼らの父親兼コーチを任じていて、独特の訓練を課した。それは、庭の木を数えることだったり、カラスを追い払うことだったり、あるいは、天皇の執務室の掃除だったりした。少年たちがものを壊したりしても頓着しなかったし、時間が来れば途中でも自分と一緒に引き上げさせたという。

天皇は自分が考えた歌を、書類が入れられてきた封筒の裏に書き、鉛筆などもぎりぎりまで使ったが、一方ではダイアモンドが好きで、それをまた人にポンとあげたりもした。質素でも贅沢でもなく、使うものは使う、という考えだったようだ。
ジヤボンや文旦の皮で菓子器など作らせたのも、あくまで手芸としてであってリサイクルという訳ではなかったようだ。
また、御内儀で演奏する楽器まで、天皇の指導の元に作られた。女官が板を張ったりして琵琶を作り、竹に穴を開けて笛を作ったりしたが、もちろんろくに音はでなかった。それでも、口三味線のようにして「ジャラジャン」などと言って楽しんだという。
また、女官たちの体力作りとしては、「段通巻き」といって、絨毯を巻いたりそれを運ばせたりしたという。

まさしく、不思議な「明治の父」、明治天皇だ。