『風が強く吹いている』

三浦しをん著。

風が強く吹いている

風が強く吹いている

 
すごくおもしろかった。
最後の方は涙も出た。
だけど、ちょっと引っかかったところが2点。と言っても、この作品についてというより、他の作品とこれとを並べて読んだときに引っかかったこと。
(作品の最後までの展開にちょっと触れています)

一つは、(少女)マンガみたいだな、と言うこと。
わたしはマンガは大好きで、誰かが「これはマンガだな」と映画や小説について侮蔑的なニュアンスで言うと、かなりむっと来る。「マンガの質の高さを知らないな」と思う。
だから、別にくだらないとか、子供だまし、という意味ではない。キャラクターの立て方、特に走(かける)のような天才児、ジョージ、ジョータのような天真爛漫な(とも見える)人物、不可能とも思える挑戦をやり抜いてしまうところ、そんなくっきりした、ある意味デフォルメされた展開が「マンガ」みたいだな、と思った。
これは森絵都の「DOVE!」を読んだときにも感じたこと。
それで、日頃あまりスポーツをあつかった小説を読まないので、スポーツ小説というのはある程度こういうものなのか、それともやはりマンガの影響があるのか?と思った訳なのです。
スポーツというのは、一定レベル以上になれば、才能を持った者同士の戦いになるから、これ(キャラクターがデフォルメされているように見えること)は、ある程度普通のことなのかな? 

もう一点は、わたしの大好きな漫画家、川原泉の『甲子園の空に笑え』と合わせたときに浮かんできた引っかかり。つまり、甲子園や箱根に挑戦すること自体がばかばかしくさえ思えるような弱小校が、その挑戦を果たした後は、結局、強豪校の一つになり、常連校になってしまうこと。どちらの作品でも、はっきりとは書いていないけれど(『甲子園〜』の方は、別作品でそれがわかる)、なんか結局「弱小校」は無くなってしまう、もっと言えば、許されないのか、という一抹の寂しさを感じてしまうのだ。

その点、第70回夏の甲子園で旋風を巻き起こしながら、その後は全然甲子園に出場せず、今はまたサッカー校に戻ってしまっている我が母校はたいしたものだ。という結論にしておこう。