『ペルセポリス』

ペルセポリスI イランの少女マルジ

ペルセポリスI イランの少女マルジ

ペルセポリスII マルジ、故郷に帰る

ペルセポリスII マルジ、故郷に帰る

以前、これを原作にしたアニメーション映画を見て、すぐ図書館にリクエストした。
かなり待ってやっと読めました。

映画を見たとき、パンフレットもなにも買わなかったので、大体同年代だろうと思いつつ、作者の年齢が分からないまま見ていた。
1969年生まれの著者は、まさに私と同い年。同じ時代を、同じだけ生きてきたのに、なんて違う人生だろう。

確かに子供のころ、ニュースで「ホメイニ師」とかなんとかやっていた気がする。と言うことは当時それがホットなニュースだったわけだ。しかし、もう少し大きくなって、中学生、高校生になったころには、「イランは、イスラム原理主義の国で(という“用語”は知らなかったが)、イラクとずっと戦争している国」ということが、普遍の事実のように思えていた。つまり、この世のはじめから終わりまで、そう言う国、という感じ。
それが、この作品で初めて、イランの変化が、私の人生の長さの中に含まれていること、物心ついてからの出来事であることを知った。

イスラム革命以前のイランは、むしろ、当時の日本以上に欧米化された国だったように見える。客を招いてのパーティーでは、お酒も出るし、ダンスも踊る。
もっとも、著者の家は、王族にもつながる名家で、父親はキャデラックに乗り、メイドを使っているほどのお金持ちだったから、これは上流階級だけのことだったのかも知れないけれど、いずれにしても、西欧化された人々がかなりの数いたわけだ。
それだけではない、彼らは、革命後も、隠れてパーティーをし、お酒を飲む。ロックのテープをこっそり売る、路上の「売人」までいる。ジーンズやスニーカーも買えたようだし、ハンバーガーショップも残されていたようだ。
どう考えても同時代の私自身の生活よりアメリカ化している。
これはやっぱり、上流階級故のことなのだろう。イランは、上流と一般庶民と、大きく異なった文化を持っていたのだと思う。そして、革命を担ったのは、下の人々だったのだ。実際、革命後、病院のお偉いさんに会いに行ったら、かつての窓ふき人だったりした。

プラスチックの「天国の鍵」ひとつもらって戦場に送られる子どもたち、迫害され処刑される人々。イスラム革命にあった非道さ、非常さはあまりにひどい。また、女性が人間扱いされないことに、女性として怒りを感じる。
しかし、一方で、この、格差のあまりの大きさが革命を生んだのだろう、という思いも湧いてくる。革命に走らざるを得なかった、恨みを晴らさずにはいられなかった人々の思いは、はたして上流の人たちには届いたのだろうか。
実際には、上流の人々は早々に海外に移住したり、あるいは著者の家のように、子供だけを欧米に出したりした。結局、「天国の鍵」で戦場に送られたのも、多くは金のない人々だったのだ。

非常におもしろく読みながらも、いろいろ複雑な思いが湧いてくる本だった。