『イスラームから考える』

イスラームから考える

イスラームから考える

ペルセポリス』に続けて、イスラムシリーズ(?)
エジプト人の父と日本人の母を持つ著者、1970年生まれの彼女は、わたしとほぼ同い年だ。
ペルセポリス』を読んで、ロックやハンバーガーが出てくることに驚いたけれど、これを読むと、アラブの若者はアメリカの覇権主義に強い反感を持ちながらも、実はアメリカ文化にどっぷり浸かっているらしい。
バーガーキングマクドナルド、ピザハットスターバックス……
イスラムだからと、特別に思うからおかしいのであって、どの国にもいるのは人間なのだ。そうこの本は教えてくれる。
著者は日本の大学で教えているのだが、授業でイスラムの詩人を取り上げたとき、日本人の偏見をただすために(?)ある宗教学者が「若者よ、恋をせよ!」と言ったという話を取り上げた。その時、一人の学生が「なぜ、そもそも『恋をせよ!』などと言わなければならないのか」とたずねた。
「日本人は、イスラムの宗教は恋愛を禁じている、と思っている」というのもまた、著者の偏見だったのだ。
大学時代、「それは人間であることに、なんの関わりがあるのか」というのは命をかけて発せられた問だった、と教わった。
宗教、時代、国、それは、人間であることに何の関わりもないのだ。

フランスなどの、ヒジャーブ禁止令について、著者は、フランス人の意見も、イスラム教徒の意見も分かる、と言っている。
十字架なども一律禁止なのだから、というフランス人の理屈はもっともだ。しかし、一方、これまで見せなかった身体の線をあらわにしなければならなくなる、ヒジャーブ禁止は、またちょっと違う問題なのではないか、というのだ。著者の例えはわたしにもよく分かった。ごく特別な場合を除き、もう何年もズボンしかはいていない私が、急にタイトミニのスカートを強制されたらどうするか。ヒジャーブの問題が、急に、自分自身の実感として迫ってくる。
こういう、ちょっとした想像力が大切なのだ。

それから、原語で発音したときのみ現れるクルアーンコーラン)の美しさ。聞いてみたくなった。