『恋の蛍』

恋の蛍 山崎富栄と太宰治

恋の蛍 山崎富栄と太宰治

太宰治と心中した山崎富栄の伝記的小説。
「酒場の女」だの「知能が低い」だの散々いわれてきて、それを定説として信じている人間もまた多いのだが、実際には、日本初の美容学校を作った人物の令嬢であり、外国語にも堪能、父親から美容師として厳しい訓練を受け、皇族の着付けをしたこともある人だったのだ。
 
幸せな生い立ちから、美容師としての仕事、短くも幸せな結婚生活、海外で徴用されおそらくは戦死したと思われる夫を待つ日々。そして、東京で、父の学校と美容室を再建するために働きながら貯金にいそしむ暮らし。
ひたむきでまっすぐな性格がわかる。そのひたむきさ、まっすぐさが一人の作家に向けられたときに、すべてが狂っていったのだと思う。

もとから人間としての太宰治はだいっいらいなのだけれど、こんな男と死んで、そして汚名を着せられた富栄は本当に気の毒だ。
水死体が引き上げられ、太宰の遺体のみさっさと収容された後、もとからずぶぬれの娘の遺体に自分のレインコートをかぶせ、傘を差し掛ける父のくだりは涙なくしては読めなかった。
そして、自ら検視に立会い死体がきれいであったことを知り、太宰が多くの遺書を残したことを知っていながら、「首に縄の痕があったと人から聞いた。富栄の無理心中なのだろう」などと書いた亀井勝一郎井伏鱒二は、本当に卑怯だ。人間性さえ疑われる。
実像を知ってか知らずか、「知能も低く、これといった魅力もない女」と書いた臼井吉見もそう。
よく「セカンドレイプ」ということがいわれるが、富栄に対するこの扱いもまたセカンドレイプだと思う。

それから、高校生のときに「ねえ、太宰の心中相手の最後の言葉(遺書)は『修二さんはわたしがいただいていきます』なんだって」などと聞いて大騒ぎしたことがあったのだけれど、この本のどこにもそんな言葉はない。これもまた、偏見に満ちた誰かの創作だったのだろうか?

とにかく、この本が出て、富栄は浮かばれたと思う。太宰に興味がある人ならとにかく読んで、これまでの偏見を正してほしいと思う。