『それでも、日本人は「戦争」を選んだ」

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

メモをとらずに読んだので、印象に残ったところのみ。

結局日本はロシアが怖かったんだなあ、と思った。
巨大な帝国が着々と力をつけている中で、日本との間には狭い海しかない。ロシアに港を、内陸から港までの鉄道を握らせたくない。それが、日清戦争にしろ日露戦争にしろ日本が戦争を始める大きなきっかけだった。
そして、当時の世界は、はっきり言って戦争に勝ってなんぼ、植民地を持ってなんぼの世界だった。日清戦争に勝ってはじめて、日本は「公使館」ではなく「大使館」をおくことができるようになった。つまり、やっと世界から一人前と認められたと言うことだ。

第一次世界大戦で各国が疲弊したため、「もう植民地をめぐる戦争はやめましょう」という空気になった。しかし、国際連盟がうたった「民族自決」は、ポーランドなどを念頭に置いたもので、第一次世界大戦以前に各国の植民地になったところは考えられていなかった。

初期の選挙は、15円以上の税金を納めたもの、という制限選挙だったけれど、戦費を賄うために税金が上げられ、また、納税条件も10円まで引き下げられたために、選挙権を持つ人が増えた。また、被選挙権の方は納税条件がなくなったので、弁の立つ新聞記者などが有権者に担ぎ出される、などということも始まり、政治が変わっていった。

また、マーク・ピーティというアメリカの学者が、「日本の植民地はすべて、その獲得が日本の戦略的利益に合致するという最高レベルでの慎重な決定に基づいて領有された」と書いている。つまり、国防上重要なところを押さえていったということ。それが、韓国、山東半島、そして第一次世界大戦でドイツから得た南洋諸島までなら、少なくとも欧米列強の帝国仲間からは許してもらえたんだろうけど、「満蒙は日本の生命線である」というあたりからおかしくなってきたのかな。太平洋戦争で仏印に進攻したのも、飛行場がほしかったからのようだけど。

松岡洋右といえば、国際連盟脱退の映像が有名で、「ああ、なんてことをやってくれたのだ」という気持ちがあったのだけれど、彼自身は、たとえば対華二十一箇条要求について「泥棒したのは自分だけではない、といっても言い訳にはならない」と厳しいことを言っている。また、あの国際連盟脱退以前にも、「なにごとも八分目までで我慢すべきで、連盟脱退などしてはいけない」と言っている。その彼が、連盟脱退の当事者になるとは、歴史の皮肉と言うべきか。そして、国際連盟の脱退理由というのが、「このままだと除名されてしまうから、その前にこっちから出ちまえ」ということだったというのは、もう、なんと申してよいやら。

他に印象に残った人物は、1935年に「日本切腹、中国介錯論」を発表した胡適。この論は、日本は今、全国民切腹への道を歩んでいる。中国は、まず日中戦争において最初の2,3年、単独で戦い、負け続ける。そうすれば、その後、英米が参戦し、日本は負ける。つまり中国が日本の介錯をすることになる、というもの。日中戦争から太平洋戦争の流れを完全に予言している。すさまじい覚悟と先見の明だ。

また一人、国家の重要物資の8割を外国に依存している日本は、戦争をする資格がない、と喝破した軍人水野廣徳も印象に残った。

ドラマ「坂の上の雲」を第8話まで見たところなんだけど、つくづく、「日本が外国を侵略しない。日本も外国に侵略されない」道はなかったのだろうか? もしかしたらなかったのかもしれないなあ、と思う。