『源氏物語の時代 一条天皇と后たちの物語』

源氏物語の時代―一条天皇と后たちのものがたり (朝日選書 820)

源氏物語の時代―一条天皇と后たちのものがたり (朝日選書 820)

再読。
帝が、愛すべきではない女を愛しすぎて秩序を乱し、世の非難を浴びる。
源氏物語』冒頭の桐壺帝を思わせるが、これは一条天皇と定子にも当てはまる。この二人の愛が紫式部の心に残り、『源氏物語』に反映され、そして、その『源氏物語』の表現が、一条天皇と定子のエピソードを記す歴史物語『栄花物語』の書き方に影響を与えた。
定子の死を受けて、同世代の貴公子たちが連鎖的に出家した、それほどの大事件だったのだ。

もう一つ、『源氏物語』と絡めて言えば、中流受領階級の母を持ち、そこの家で育った定子は、実は「中の品の女」だったのかも知れない。気質としては、明らかにお嬢様たちとは違っていて、そこがまた天皇には魅力的だったのかも。(これはこの本ではなく、わたしの個人的な考え)

それから、この本を読んで思ったのは、伊周と隆家はバカだ、と言うこと。花山院に矢をいかけたとか、天皇のみができる祈祷を行った、というのもバカだが、事が現れてから逃げ隠れして、妊娠中の中宮がいる宮にまで探索を及ばせる。あげくに、中宮と手を取り合っているところを捕縛される。このことで、定子は絶望し、出家してしまうのだ。もしここで定子が出家してさえいなかったなら、一条天皇があれほど定子を愛しても、子どもを産ませても、非難されることはなかったと思う。ひいては、中関白家の再浮上さなえし得たかもしれない。全く、お坊ちゃま育ちはこれだから。定子母の実家高階家は、最後の手の平の変えしっぷりもふくめて感じ悪い。

さて、ここまで定子のことを書いてきたけれど、私は彰子派なのだ。彰子が、少女時代のエピソードから臆病になってしまい、ますます夫一条天皇と近づきにくくなってしまうところ。天皇が「私の前では決して寝ない人なのに」というあたり、痛ましいとしか言いようがない。だが、その彰子が、夫に寄り添おうと漢詩を習い始め、また子どもを産んだことで、成長し自信を持ち夫に働きかける勇気を出し、再入内のあわただしさの中で『源氏物語』の冊子をまとめようとするところ、感動的だ。一条天皇は、性格的には明らかに彰子の方に近くて、それが二人を隔てる壁にも、そして最後には絆にもなったと思いたい。
敦康の立太子を望んだ、というのも決してきれい事ではないと思う。夫との絆をもてないでいた時期、彼女と夫を結びつけていたのはただ、継子敦康だけだったのだろうから。
さらに『源氏物語』のからみで言えば、個人的には、女三の宮のもとに光源氏が行った晩、女房たちを気にして寝返りやため息すら押さえている紫の上には、彰子の面影がある気がする。
一条天皇の辞世は、それをその場で聞いた藤原行成が「定子にあてたもの」と感じたことは無視できないとしても、ここはやはり彰子に詠んだと思いたい。一条が出家していて、定子が最後(還俗したまま)出家出来なかった、というのは、当時としてはどれほどの障害になるものなのだろう? あの世でも会えない、と思ってしまうものなのか? 私としては、一条天皇が、いよいよ定子と夭折した娘のところへ旅立つ前に、残していく妻、彰子に詠んだものと思いたい。
少なくとも、彰子は自分に向けたものだと思ったろうし、そう思えるような歌であってよかった。

しかし、本当に気の毒なのはほとんど顧みられなかった女御たち、元子、尊子、義子か、とも思うが、一方、元子と尊子は天皇の死後再婚していて、顧みられなかったなりにいい面もあったのかも。(義子だって、なんかあったかもしれないしね)