「身毒丸」

藤原竜也の「復活」と「ファイナル」を見て、3回目。さすがにもういいかと思ったんだけれど、新たな藤原竜也誕生の伝説を見られるかも、とチケットをとってしまった。

よかった。最後には、喉の奥にかすかな嗚咽があった。(「嗚咽をこらえる」というのよりちょっと弱い)
この感動は、主に、ラストシーンの改変によるもの。
そこまでは、どうしても頭の中の白石・藤原コンビの幻を追い払いつつ見ていた。
大竹しのぶは、もちろん上手いんだけど、声の使い方、出し方がまだ安定していないような感じだった。作り声の時、鬼と化した時、素に戻った時、いつ、どの声を使うか、の。
矢島君は身体が細くて、いかにも若い感じがあっていたけれど、今日の東京楽までにやつれてしまったのか、ちょっと顔は老けてた??

六平さんのお父さんはよかった。身体の大きな、声が豊かで深いお父さんが、世間ばかりを気にかけるのが、むしろ、作品に奥行きを与えていた。

大竹しのぶに戻ると、普通の、適齢期はおそらくとうに過ぎたろうが、一方、まだ十分に若い撫子が、やがて鬼にも夜叉にもなっていく苦しみが、白石さんよりもよく出ていた。おそらく、お芝居としてはこちらの方が本来だろうと思える。
なんと言っても、白石さんは最初から人ではない、から。

それでも、どうしてもどうしても、「やっぱり前のがよかった」という思いをぬぐいきれずに見ていたのだけれど、あのラスト。
ある種のハッピーエンドとも言えた前回までと違って、胸のまん中に大きな穴が空いて、そこを風が吹き抜けてゆくような、何とも言えぬ、荒涼とした、孤独な、救いのない終わり方。それが胸に響いた。

それは、私が女だからか? 母ではない女だからか?
そんなことを思って、最後の最後に打ちのめされてしまった。