『枕草子 表現の論理』

以下は、この本のまとめではなく、個人的に思ったこと。

定子の苦境は思った以上だった。無論、兄弟が流刑にあったことや道長らから嫌がらせを受けたことは知っていたけれど、彰子が中宮になるのに伴って皇后に棚上げされるまで公式の入内はできなかったことは知らなかった。
一方、職の御曹司時代には密かに入内していて、敦康を身ごもったのもその折りだったという。『小右記逸文には、実資が昇進のお礼に職に行ったら人気(ひとけ)がなかった、というくだりがあるそう。実資の苦い顔が見えるようだ。
また、内裏が炎上した時には「尼中宮」が入内したから、と言われたという。

有名な翁丸、天皇がかわいがっていた猫を、翁丸という中宮がかわいがっていた半野良?犬が怖がらせたという話。この事件は、定子がやっと正式に入内でき、二人の子もまじえた久しぶりの一家団欒のなかで起きた。ところが、天皇は翁丸をさんざん打ち据えさせ、その上「流刑」にまでする。天皇の最愛の人が最後まで定子であったことは疑いようがないにしても、この状況での妻のペットに対する扱いはやはり異様だ。天皇が定子のところに来て笛を吹くエピソードにしても、定子の姿は描かれない。
しかし、一方で、天皇と定子が共に過ごした最後の時期、今内裏の清少納言の局から外をのぞき見る天皇夫妻は、明るく笑い合っている。これが二人の最後のエピソードとして描かれた意味は大きいと思う。
その年、第3子を出産し、定子が死に至る前後の時期には、彼女と不仲であったと言われる姑東三条院が病臥していた。当然、東三条院の病気は定子をはじめとする中関白家の怨霊の仕業であると思われていたようだが、結局、定子たちは怨霊化しなかった。それは、つとめて定子後宮の最後までの明るさと笑いを描いた『枕草子』に帰するところが大きいのではないか。
ライバルである彰子に仕えた紫式部が「清少納言こそしたり顔に〜」と書かずにいられなかったプレッシャーを、彰子後宮に与え続けたのが『枕草子』であったと思う。

一方で、枕草子に登場する貴公子たち、行成、斉信、経房らが、実は道長よりの人間たちであったことは何を意味するのだろうか?