『ショック・ドクトリン』

ショックドクトリン

ショック・ドクトリンとは、「惨事便乗型資本主義」。災害や戦争などの惨事で白紙状態に陥った国や地域に対して、思うままの状態を作り出そうと言うこと。
これは、感覚遮断や拘束、それから直接的暴力などによって個人を尋問するやり方とも通じる。
このショック・ドクトリンミルトン・フリードマンらシカゴが大学の研究者、そこで学んだ者たちを中心に世界で行われてきた。たとえば、フリードマンはチリのピノチェト大統領の経済顧問でもあった。

シカゴ学派の思想が目の敵にしたのが欧米ではニューディール政策、途上国では、開発主義。開発主義とは、石油、鉱物などの主要産業を規制したり国有化したりしてその収益を政府主導の開発プログラムに当てるというもの。1950年代の南米で行われていた。それは成果を上げ、アルゼンチンでは南米最大の中産階級が形成され、ウルグアイ識字率は95%に達していた。しかし、その恩恵から閉め出された地元の封建地主や欧米の多国籍企業は不満だった。
そこで、まずは、それらの国の学生たちをシカゴ大学で学ばせそれぞれの国へ戻した。しかし、そのようなソフトなやり方では国のあり方を変えることは出来なかった。
そこで、CIA主導のクーデターが起こる。これは、たとえば、チリではアメリカの電話会社ITTが要請した者だった。(後に、その要請を批判されて「ナンバーワン企業を大事にすることのどこが悪いのか」とITTは開き直った)

そこで始まるのがショック療法だった。
 第一段階はクーデター
 第二段階は、フリードマン流の資本主義的ショック療法。
 第三段階は、反対者たちの拉致、拘束、拷問。

その結果、これらの国では人口の半分以上が貧困ライン以下の生活を強いられることになった。
多国籍企業は、かつてのように「無住の地」を見つけてそこを植民地化し、利益をむさぼることが出来なくなった。そこで、「ショック療法」によってすでにある国を「白紙化」新たなフロンティア(一種の無法地帯)とすることにしたのだ。

ショック療法は1980年代のボリビアなどでも行われた。レーガン政権がボリビアのコカ農家を軍事攻撃、コカは輸出のほぼ半分を占めていた。その結果、一万4千パーセントというハイパーインフレが起こる。アメリカは、シカゴ学派流の改革を受け入れれば援助をすると申し出た。
 改革とは、食料をはじめとする補助の廃止。ほとんどの価格統制の撤廃、石油価格を3倍にすること。貿易自由化、財政支出の大幅削減だった。
これらの提言を行ったメンバーには、自分のしていることを自覚している者もいた。おびえる彼に対し、草案の起草者は「ヒロシマ攻撃のパイロットを見習おう。自分が何をしているか分かっていなかったが、キノコ雲をみて「おっとごめんよ!」と言ったそうだ。我々も、この政策を実行に移してから「おっとごめんよ!」と言えばいいんだ」

結果、インフレ率は10%にまで下がったが、平均所得も下がり、そして社会保障を受ける資格のある国民は61%減った。そして、そもそもの原因であったはずのコカ栽培は増加したのだ。ボリビアではハイパーインフレがショック療法の為の「ショック」だった。

アルゼンチンではフォークランド紛争が「ショック」だった。
紛争後、債務は79億ドルから450億ドルに増えた。1980年の一年で国の債務は90億ドル増えたのに対し、アルゼンチン人の海外預金もまた67億ドル増えた。国の資産を多国籍企業に売り、その利益を手にした人々がいたことになる。

80年代末から90年代初めは、ポ−ランド、ソ連、中国など共産国をショック療法が襲った。西側の国では、それを「共産主義対民主主義の戦い」と見ていたが、実は、急激な経済改革とそれに歯止めをかけようとする人々の戦いでもあったという。たとえば、中国が「世界の搾取工場」と化すのは天安門事件以後であり、エリツィンが国の資産を売り払い「新興財閥(オリガルヒ)」がどんどん誕生したのもその頃だった。
そして、その後押しをしたのがIMF世界銀行だった。彼らは、「ワシントン・コンセンサス(自由市場以外の経済理念や論争を一切排除する)」を受け入れるか、援助を受けないかの二者択一を迫ったのだ。

そのIMF世界銀行のやりくちがあからさまに出たのが南アフリカだった。マンデラ率いるANCが政権を担うにあたり、中央銀行財務省とのギブ・アンド・テイクの交渉をさせられた。ANCは政権を取り、その代わり経済政策をゆずった。
その結果、銀行、鉱山などの独占産業を所有する白人の4大コングロマリットは温存され、今も上場企業の80%を占めている。06年に至っても、土地の70%は人口の10%に過ぎない白人のものだ。IMF世界銀行南アフリカの債務を免除せず、その支払いやアパルトヘイトの賠償のために1%の法人税を一度限り課すという案も否決された。一方、アパルトヘイト時代の公務員の年金も維持されている。
つまり、アパルトヘイトにより利益を受けていた(そして今もうけている)白人企業はびた一文払わず、その賠償や債務、彼らのための年金を、犠牲者である黒人をはじめとする新政権が払い続けなければならないのだ。
1990年以降、南アフリカの平均寿命は13年短くなった。

1997年のアジア経済危機の折にもIMFは介入し、政府予算削減、金利引き上げなどを行った。その結果、インドネシアの失業率は4%から12%となり、韓国では毎月30万人が解雇された。アジアの「奇跡」の最も輝かしい部分、中産階級が消滅したのだ。アジア全体では2000万人が貧困化した。
このことについて、トーマス・フリードマン(ミルトンとは無関係)は、「90年代、グローバル化はタイ、韓国、マレーシア、インドネシア、メキシコ、ロシア、ブラジルの経済を崩壊させたことで人々に恩恵を施した。腐敗した慣習や制度をさらけ出したのだから」と言っている。

これらの新自由主義の嵐は、アメリカ本国をも襲っている。
2001年9月10日、ラムズフェルドは、「軍務を外注に出す」と発言した。これは波紋を呼ぶはずだったが、次の日に同時多発テロが起き、問題にはならなかった。
そして、軍務の外注は実行されていく。
ブッシュ(父)政権の国防長官チェイニーは、1992年、ハリバートン社が「無制限の後方支援を提供する」という契約を交わした。この契約は、拡大解釈を可能にする曖昧なものだった。クリントン政権3年目、チェイニーはハリバートンのCEOに就任する。契約の拡大解釈により、ハリバートンはバルカン紛争の後方に置いてあらゆるものを提供することになり、「軍隊のマクドナルド化」が進んだ。ゲートで囲まれた中に、ファストフード店、映画館、ジムなどが作られた。これは「原価加算方式」で、コストのパーセンテージで利益が計算されるため、コストをかければかけるほど儲かるのだ。

ブッシュ(子)は州知事時代、刑務所を民営化するなど、州政府を競売にかけた。
チェイニーは軍をアウトソーシングした。
ラムズフェルドは、伝染病薬(タミフル)の特許をとってもうけた。

この3人が政権を担った時代、アメリカ政府は空洞化し、国民の税金を多国籍企業に送るパイプに過ぎなくなった。
それは、政府の発注と何段階もの下請けによりお金が蒸発していくことを意味する。
たとえば、ハリケーンカトリーナの時、破損した屋根にブルーシートをかぶせる作業を、政府は1平方フィートあたり175ドルで発注した。(シートは政府が支給)何段階もの下請けの末、実際に作業する者にわたるのは1平方フィートあたり2ドルになっていたという。

イラクではこれがもっとあからさまだった。
イラクを暫定的に統治したブレマーは、国営企業200社を民営化した。そして、外国企業がイラクの資産を100%所有でき、利益を100%国外に持ち出せ、イラクに再投資する必要もなくした。そのようにイラクを食い荒らし、3年半後にアメリカ企業はすべて撤退した。その成果は? パーソンズは142カ所の病院建設を1億8600万ドルで受注したが、完成したのはわずか6カ所だった。
このようなやり方をした別の会社は、内部告発により告訴された。1審は詐欺で有罪。しかし、2審では「イラク暫定政府はアメリカ政府の正式な機関ではないため、アメリカの法律は適用されない」という弁明が認められ、無罪となった。ちなみに、イラクの法律も適用されないことは明文化されている。



イラクアメリカで行われている「民営化」は、脆弱化した国家と民営化された国家内国家を生み出している。民営化された国家は、その資金は国家にたより、そして教育もまた国家に負っている(動かしているのは元公務員や元兵士)。しかし、市民はその国家内国家に対し何の権利も要求も出来ないのだ。

それは、新たなアパルトヘイト化だ。
現に、アトランタでは、自分たちの税金を低所得の人々の学校や警察に使われたくない、と住民投票で独立を選んだ富裕な人々が暮らす地域がある。その自治体は、民間の会社に運営を委託した。民間運営の街の誕生だ。

そして、そのようなアパルトヘイト化した街、ゲーテッドシティではセキュリティが重要になる。実際、ITバブル崩壊以後、急成長したのはセキュリティ産業なのだ。そして、セキュリティ産業は、それまでの産業と違い、戦争やテロが起きる度に株価を上げる。

ある種のゲーテッドシティであり、セキュリティ産業に活路を見いだした国がある。イスラエルだ。1993年オスロ合意がなされた頃、イスラエルには「中東のシンガポールになる」という構想が生まれていた。そのためには、周辺の中東の国々との関係をよくしておく必要がある。ところが、そこでソ連が崩壊した。ソ連からユダヤ系のロシア人が流れ込み、かれらは安い労働力となった。そして、それまでの安い労働力、パレスチナ人は不要になる。93年3月、パレスチナ人の封鎖が始まる。イスラエルはロシア人を安く使う一方、各地に入植させていく。また、亡命者の中には、旧ソ連科学研究施設出身者がおり、それもまたイスラエルのハイテク産業(セキュリティ産業)の発展を促した。
現在、イスラエルの総輸出高の60%がテクノロジーであり、多くはセキュリティである。イスラエルが売り込む防御壁は、「この装置を実際に試したのはイスラエルだけ」という売り文句と共に世界で売られる。セキュリティ産業は、暴力の継続から利益を得られる分野なのだ。
一方、イスラエル貧困率は24,4%、子どもの貧困率は35,2%に上がっている。(20年前は8%)

最後に、この本はラテンアメリカの変化について書いている。
ラテンアメリカに対するIMFの融資は05年には80%を占めてたのに対し、07年には1%になっている。全世界に対するIMFの融資額も、810億ドルから118億ドルに下がり、そのほとんどはトルコに対するものだという。
ラテンアメリカは、ショック療法とその後遺症から抜け出そうとしているのだ。


もう一つ最後に、2012年2月27日の朝日新聞に、ミルトンの孫、パトリ・フリードマンが人工国家群構想を目指している、という記事があった。

それは、
 海上に国を作る。
 来る者は拒まず、去る者は追わず。
 一から社会を作る、たとえば限りなく規制のない社会。
 人々がいくつかの「国」の中から選べるようにして競争を促す。
というものだ。

また、中米ホンジュラスも、外国企業を呼び込むために、国家の司法権さえも及ばない「人工都市」を作ろうとしている。すでに憲法も変えたという。

究極のゲーテッドシティ、アパルトヘイトが始まろうとしているのだろうか。