「風立ちぬ」

 *「風立ちぬ

予想以上におもしろかったし、涙したところもあった。
だけど、最後の菜穂子にかかわる2シーンで、全体の印象まで悪くなってしまった。
見終わった直後は、「よかった」「しかしまあずいぶん都合のいい妻だよなあ」というほぼ拮抗した感想で、むしろ「よかった」、の方が強いくらいだったのに、
時間がたつにつれてひっかかりが不快感になって、結局、今は不快な印象の方が強くなってしまっている。

気が向いたときに注意を向ければいつもそこにいて、にっこり美しく笑ってくれて、状況的に生活力はなくてもよく、でも、自分の始末は自分でつけられて、自分(二郎)ができない決断を自分に先立ってやってくれて、
美しいまま美しいときに消えてくれる妻っていうのは一種の理想だよねえ。
ロマンチックラブの偶像。

だから、妹やら上司やら友人やらが、おまえはエゴイストだとか偽善だとか言うわけだけど、いっこうに二郎の心には響かない。

サナトリウムに菜穂子を行かせれば自分も仕事を辞めて付き添わなければならなくなる、って、あんた結局付き添ってないやん。それは、たぶん菜穂子の手紙に来るなと書いてあったのだと思うけど、
どう見たってはなから付きそう気なんかない。それならそうと、いや僕たちはこれでいいんです、くらいで押し切った方が、極端な二者選択、しかも大してやる気のなさそうな、を出すよりもまだ好感が持てた。
だって、離れたサナトリウムじゃなくても、どこかの病院、もちろん伝染病だから場所は限られていたろうけど、週末くらいは見舞いに行ける病院に入院することだってできたんじゃない?

子どもの頃から常に立ち現れてきた夢や幻視が、菜穂子との結婚時代に出てこない(と思う。1度見ただけなので間違っているかも)のも、結局、菜穂子自体二郎にとって夢のようなもので、夢として以上には引き受けることをしなかったんだと思う。

かなり無理に、現実の堀越二郎氏と堀辰雄の世界を結びつけて宮崎駿が描いたものは、やはり こちらにあるような

http://blog.goo.ne.jp/sombrero-records/e/fc082b472586d1994a96b6b975fdcece

美しさを追い求める残酷さなのでしょう。

ただ、公平に言うならば、菜穂子にとっても二郎は都合のいい夫だったかもしれないと思います。自分が結核で、おそらく長く生きられないと言うときに、かつて出会った初恋の人というより王子様が、
それでも好きだ、結婚したいと言ってくれ、その後もきれいだと言い続けてくれる。一般的に妻として必須とされていた家政能力(家柄からして自らおさんどんはしないにしても)や子を産むことを求めないでいてくれる。
ひたすら愛する人を思い、待つだけの日々を与えてくれる、これはこれで一種の理想でしょう。

自分自身、空想とともに人生を歩んできた人間なので、現実離れが悪いとは言わないけれど、それを一人の理想の女にすべてを引き受けてさせるのは、ちょっと勘弁してよという感じだった。