『評伝 紫式部』

 かなりじっくり細かいところまで書かれた評伝。紫式部の人生自体は他の本で読んでいるので、それほど新鮮ではなかった。年代や人名などかなり国名に追究しているから研究者ならいろいろ発見があるのだろうけれど。
 面白いと思った点を挙げると

 円融天皇の治世末期には、藤原氏以外のものが出世できなくなり、次いで藤原氏内部の権力抗争が激しくなった。そのため朝政が混乱停滞した。公卿たちは公務に参内せず、下級官僚たちの意欲も衰え、規律も乱れたという。だから、花山天皇が即位すると、義懐ら若手の貴族が急進的な改革策を矢継ぎ早に打ち出した。しかし、花山帝の出家により頓挫した。
 
当時は一般に高級貴族でであっても、一つの屋敷幾組もの夫婦が共に暮らしたり、一つの建物に二家族が住んでいたりした。

 紫式部は、複数の楽器を所有するなど音楽に長けていた。

 赤染衛門の赤染氏は、常世連の一氏族で、常世氏は、中国の燕国の王族が日本に来た子孫だという。燕国は「燕脂」の名で知られた赤色の染料を産出し、その王族の末裔である赤染氏も染色の特殊な技術を伝えていたという。

 物の怪は、十世紀後半頃から急増してくる社会現象。この時期の人々の心が繊細になり複雑になったことと関係しているだろう、という。

 当時の出家には二タイプあった。前途ある若者が無常観を突き詰めて出家に走る。または、道長のように歳をとってから後生のために出家する。

 式部もまた、出家を望んでいたが、彼女の理性は、「極楽往生」という考えを信じ切れなかったのではないか、という。

 
 それにしても、宮仕えもしなかった女性の場合、友達ってどうやって作れたんだろうというのが素朴な疑問としてある。