『イザベラ・バードの東北紀行』

 明治11年、戊辰戦争から10年、西南戦争から1年である時期に、日本を旅したイギリス女性の紀行『日本奥地紀行』のうち、会津置賜地区を描いた部分を扱っている。
 異国の女性が、一人(と日本人通訳)で旅をしても、危険な目にも嫌な目にも遭わず、ぼられることもない。好奇心旺盛な人々はバードを見て時には2千人も集まってくる。しかし、ただ静かに見守るのみ。
 しかし一方で、衛生状態はひどく、人々は汚くくさい。虫刺されや皮膚病でひどい肌をしている。男は裸、女も腰巻きだけを身につけている人が多い。眼鏡だけを身につけて寝転んで本を読んでいる男。日よけの傘を被り団扇だけを手にした裸の男。
 「陸運会社(日通の前身)」の支店が各所にあり、馬と人足を手配する。非常に正確で料金もきちんと決まっていた。馬が弱く当初の契約よりも多くの馬を要した時も、最初の契約の頭数しか料金を取らなかったという。一方、当時の駄馬は人を乗せたことがなかったので時には扱いに苦労したようだ。
 
 江戸や京都を訪問した外国人の記録は読んだことがあったけれど、地方を扱ったものははじめて。驚くほど「未開」な日本の姿がある。
 
 バードの即席を赤坂氏がたどる、という本なのだけれど、時々どちらの視点なのかわかりにくいところがあった。