『翻訳がつくる日本語』
- 作者: 中村桃子
- 出版社/メーカー: 白澤社
- 発売日: 2013/08/05
- メディア: 単行本
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フィクションの女性登場人物や外国女性のインタビューなどで使われる「〜わ」「〜よ」「〜だわ」、博士や賢い老人(例:ダンブルドア校長)の「わし〜じゃ」という言葉づかいは早くから気になり、また話題にもなっていたと思う。次に指摘されてきたのが「やあ、おれ〜さ」という男性の言葉使い。これは、アメリカ人の俳優のインタビューなどでこう訳されることが多い。
かつては、自分の属性により言葉づかいが違う、と言われてきたけれど最近では、特定の言葉使いをする事によって自分のアイデンティティを作っていると考えられるようになったという。
また、翻訳が女性の言葉を女言葉、(かつての)黒人の言葉を東北弁などに自動的に訳してきたことによって、むしろ私たちは女言葉、東北弁になじみ自らの言語資源としてきたという。
かつて言葉づかいは階級や上下関係によって、フィクションでも現実でも使い分けられていたが、最近の日本では親疎の差で使い分けられている。それを反映して、翻訳でも「やあ、〜さ」や女言葉は気さくさを表す表現になっている。
70年代、アメリカで強い女性たちの映画が作られはじめた時期でも、翻訳ははやり女言葉でなされていた。そのような映画が新たな言語資源となって、強い女がむしろ女言葉を使う、という新たな表現にもなっている。(例:「エイリアン」)