『石の虚塔』

石の虚塔: 発見と捏造、考古学に憑かれた男たち

石の虚塔: 発見と捏造、考古学に憑かれた男たち

非常におもしろかった。旧石器捏造事件を起こした藤村(現在は妻の姓)を筆者が訪ねるところから始まる。精神状態が良くなく、病院で知り合った同病解離性人格障害の妻と暮らしている。
「ぼくはみんなを愛していましたっ みんなもぼくを愛してくれましたっ」と叫ぶ藤村。このような人物がどうして「ゴッドハンド」となったのか、筆者は、相澤忠洋にまでさかのぼって書いている。

それはまさに、考古学の奇人変人列伝。
幼い頃に一家離散し、終戦後は行商で生活しながら石器を探し続けた相澤。まさに赤貧洗うがごとし。研究者と話すために東京を訪れるときには、栃木県桐生市から150キロを自転車で行った。ロードバイクなどではない時代に!
布団は一組しかなく、中の綿は発掘物をくるむために抜き取られ、薄くなっていた。彼を慕う学生が来たときには、本人は軍服を掛けて寝て、1人の学生が布団の皮を、1人の学生が綿をかけて寝たという。
最初に、岩宿遺跡の発見を論文にした杉原。彼は登呂遺跡の鬼と言われ、自分が立つ櫓に乗ったまま学生に運ばせるなど激しく厳しい姿勢だったが、夜には酒を浴びるように飲みダンスに繰り出す、それは最晩年もそうだったようだ。
相澤を見いだした芹沢長介は、反対に静かなタイプで、相澤など在野の研究者をかわいがり賞賛した。
杉原と芹沢の2人はやがて相澤を挟んで、不倶戴天の敵となるが、一方で、親しく話しているところを見たという目撃もあり、彼らの複雑さを見せている。
相澤は、発掘一本槍で、チャンスを与えられてもそれ以上の学歴を身に付けようとも、あるいは論文を書くのに必要な技能を身に付けようともしなかった。また、せっかく得た大学で教職もすぐに辞めている。
それは、藤村も同様で、かれも発掘しかできない、やろうとしなかった。

学閥にとらわれず、在野の研究者を大切にした芹沢は、一方で、彼らを搾取したとも言える。論文を書けない彼らではなく芹沢の名で発表されることになるから。また、彼は前期石器時代の証明のために人生を捧げた。岩宿などの後期石器時代は加工の後がわかりやすいので石器との判別が容易につく。対して前期石器は、作成者が原人であり、細かな細工ができない。ただ不器用に石同士をぶつけて欠くだけだ。それ故、自然に割れた石との区別はつきにくい。芹沢が「発見した」石器の中には、芹沢にしか石器に見えない「長介石器」と言われるものが多くあり、それらは藤村の捏造事件と共にすべて石器ではないと片付けられることになった。
前期石器時代の証明を目指しつつ、それができないでいた芹沢は藤村の発見に飛びつく。それに応えて、藤村はどんどんとより古い時代の石器を「発掘」し続ける。
芹沢も含め、周囲の専門家たちはそれを見極める目をすでに失っていた。芹沢の目はあるときからはすでに曇っていたと、複数の証言がある。

藤村の捏造を暴いたのは、学閥主義に嫌気がさして、発掘調査会社を作っていた角張、フランス留学までして型式論を身に付けたのに今に至るも考古学者としての正職に就いていない竹岡の2人だった。
2人の訴えは最初は黙殺されるが、やがて毎日新聞がこの問題を追うことになる。
1000万円もかけた調査は、稀代のスクープを生むことになる。
そして、藤村の発掘した石器は全て捏造とされ、芹沢の長介石器も自然物だと片付けられることになった。しかし、竹岡は、それらの中にも本物の前期石器が混じっているだろうという。
この事件は、全て藤村(と弟分若き講師)に責任が押しつけられ決着した。
しかし、捏造発覚のきっかけを作った角張は、やがて酒におぼれ、深夜から早朝にかけて知人に電話をかけ続け、藤村を信じ捏造を見抜けなかった研究者鎌田に「捏造を暴露したことを後悔している」と泣きながら謝り続けた。そして、51歳の若さで2013年死去した。

なんか、読んでいて全ての人がいとおしくなった。本来科学であるべき考古学は、日本においては文学・ロマンになってしまっている。そのはっきりとした証左が彼らなのだろう。

また、捏造事件の生まれ方、決着の付け方が、最近のSTAP細胞事件を思わせた。彼、彼女にあれほど多くの、あれほど学識のある人々が騙されたのは、おそらく本人たち自身が信じていたからなのだと思う。自分たちの欺瞞を信じ込む才能、それが2人に共通しているのではないか。また、2人に全ての責任を負わせ、内容を精査することなく終わらせてしまったのも共通している。捏造を暴いた竹岡が、藤村の発掘品の中にも本物もあるはずと語っているのに、その検証はなされていない。
この、昨日までは全てを肯定、絶賛、今日からは全てを捨て去り考えることもしない、というのは先の戦争についても同じで、日本人に深く根ざしたものなのかもしれないと思った。