『反知性主義』

反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)

反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)

 反知性主義という言葉をよく聞く。なんとなく無知を恥じない、「馬鹿でもいいんだ主義」のように思っていて、日本では識者でもそういう解釈をしている人もいるようだ。
しかし、本来の反知性主義とは、知のヒエラルヒーの否定、言ってみれば東大主義(東大出身者が固定的に権力構造を左右する)の否定であって東大そのもの、あるいは東大で教えている内容を否定しているのではない。
権威に寄りかかるのではなく、自分自身で考え発見していくことを重視する、それが反知性主義。だから反知性主義の源流とも言えるリバイバリズムが盛り上がった時代には、奴隷解放や男女平等などの動きも大きくなる。
リバイバリズムとは、教会の権威より自分自身の回心を重視する考え。ある種の檀家制度のようになっていた既存の教会(チャーチ)に異議を唱え、それゆえ分派していく傾向がある(セクト)。
プロテスタントの「聖書のみ」が、アメリカでは特定の教義を持たない「信条なし」になる。故に各教派の違いは所属会員の地位・収入・学歴となる。
無教養と考えられるバブテストに対しメソジストは「読み書きのできるバブテスト」長老派は「大学に進学したメソジスト」、アングリカン派は「投資の収益で暮らす長老派」と呼ばれたという。

余談だけれど、今、モンゴメリーの「ストーリー・ガール」シリーズを再読中。そこで、子供たちからみても、天国へ行くのになぜ「教会員」であることがそれほど大切なのか。なぜキング一家が長老派、雇い人であるピーターは本来メソジストとして描かれるのかがわかった。

また、アメリカは早く政教分離を掲げた国だけれど、それは「それぞれの宗教を大切にできるように」ということなのだ。フランスなどとはずいぶん違う。
リバイバリストの集会で、衆人の中で己の過去を語り、回心する様はこの本の中ではスポーツのパブリックビューイングに例えられているけれど、私は「24時間テレビ的」だと感じた。
(マイクもない時代)本当に2,3万人の会衆に声を届けることができたのか、実地で測り計算するベンジャミン・フランクリンはさすが。また、なぜ既存の教会の牧師ではなく、巡回説教師の説教の方が人を引きつけるのかの考察もさすが。(普通の教会では毎週同じ人間に説教するために同じ事は話せない。対して巡回説教師は毎回違う相手に対するのでだんだん説教が錬れてくる)

 最後の知性intellect と知能intelligence の違いも面白かった。インテリジェントなのは人間とは限らない。インテリジェントな機械も動物もある。しかし、インテレクトな動物・機械は存在しない。つまり知性は人間だけの物なのだ。知性とは単に何かを理解したり分析したりする能力ではなくて、それを自分に適用する「ふりかえり」の作業を含む。だから「知能犯」はいるが「知性犯」はいない。

とても面白く読んだけれど、理解が追いつかないところも多く結局雑学あつめ、「へえ」に終わってしまった感もある。しかし、再び「反知性主義」が言われる現在、LGBT関係で動きが見られるなど、どこか関連しているのかなあと思えた。