『サンカの民と被差別の世界』

五木寛之
サンカの民と被差別の世界 (五木寛之こころの新書)

五木寛之こころの新書 日本人のこころ」というシリーズの1冊らしい。途中、他のシリーズからの引用もあるのだが、この新書がいったい何冊シリーズで、他にどんな本があるのかは、どこにも全く書いてない。何でよ?
読まず嫌い、というか不思議と食指が動かない作家がいて、五木寛之はその一人。これまで1冊も読んだことがないかも。
これは、サンカなど非定住民・漂泊民に興味があって読んだ。

瀬戸内海には「家船(えぶね)」と言って、船を家とする人たちがいたらしい。旧正月には母港に集まる。その写真も載っているが壮観である。その後、義務教育が始まると、彼らの子どものための学寮が陸上に作られたと言う。ある学寮では、昭和38年のピーク時には在籍者が150名にも達したそうだが、昭和58年には閉鎖された。しかし、豊浜にだけは今も学寮が残っているという。

サンカについては以前、この本の中でも先生と呼ばれている沖浦和光氏の『幻の漂泊民サンカ』以上のことは、あまり書いてなかった。
ただ、被差別部落の水平社運動のような、自らの出自に光を当てるような動きがサンカの人たちにも生まれはじめているという話がおもしろかった。

江戸の賤民としては「浅草弾左衛門」に率いられたエタと、車善七の配下であった非人。弾左衛門は三千石相当の力を持っていたと言う。彼の屋敷は町奉行の屋敷と似た作りで、お白砂なども会ったという。つまり、合わせ鏡のように一般庶民の暮らしとエタの暮らしが重なり合っていたのだ。
明治になり、エタは一応身分として解放されたが、その代わり死んだ牛馬は無条件・無料でエタに下げ渡される、という特権も失ってしまった。エタは革の加工を一手に引き受けていて、かなりの富も手にしていたのだ。(元手がただなのだから)つまり、被差別民=貧困となったのは、近代以降の話である。
そのほかは、吉原の遊女の話や寅さんの話など。